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「自称・ブロガー」は亡者になりやすい

オピニオン

最近、ブロガーが次から次に亡者になって行くので悲しいです。

はい、みなさんこんにちは。いんたらくとです。

 

亡者になりやすい

ブログの著者で初めてブログを書き始めた頃の楽しさを失ってしまい悩む人もいます。私の経験に基づくとその悩みを持っている人には、外発的なモチベーションは環境や情勢に左右されるので、できるだけ内発的なモチベーションに切り替えていく事が必要とアドバイスします。外発的なモチベーションに頼っているとその目的を得られやすい手段に依存・固執してしまい、肯定的でも否定的でもだんだん視野が狭くなっていってしまいます。そして、その事を指摘されると闇雲に批判し始めるのです。

 

ブログが財産になるのは、ブログを継続するという目的からブログを通じた何かの手段になったときです。それまでは自身の手で育てていかなければなりません。

 

  • 即戦力になる新人は珍しい。
  • 育成方法を間違えれば使えない新人の出来上がり。

 

といえばニュアンスが伝わるでしょうか。

 

簡素清貧の亡者

先ず、お金を受け取るのが悪いという極端な考えがどうしても私には馴染みません。次に、「清貧」を生産する事を放棄する事だと思っているのではないかというような「自称・ブロガー」が多くて、うんざりしました。

 

私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること。https://kotobank.jp/word/清貧-546203

 

持たざる者が慎ましく暮らすのは清貧ですが、持てる者が隠し込むのは清貧とは言わないのではないでしょうか。持たざる者が無理で無謀なことをするのも同様です。どう考えても清貧には該当しません。稼ぐのは良くないと言いながらしっかり稼いでいるのですから、偽善それこそ亡者です。

 

どうして「カネの亡者」になってしまったのでしょうか。  お金を受け取る受け取らない云々よりも「大切にしたい気持ち」や「ビジョン」はないのでしょうか。他に「伝えたいこと」は無いのでしょうか。日々、更新を継続するのは手段であって目的ではありません。ブロガーのふりをした亡者の文章は読んでも面白くないですし、新しい知己を得られることも大抵ないので、読み手も書き手もお互いに時間を無駄にしています。それこそ、亡者になる前は面白い文章を書いていた人もいるので、余計に残念に思っています。

 

否定しながら固執するのは「ミニマリスト()」も同じです。無駄な荷物を持たないことと、次から次に捨てる物を探すのは別のことではないでしょうか。人によって最低限のラインは違うはずなのに、画一的にただ物が少ない事をアピールされるとどうしても違和感を感じてしまいます。モノの亡者になっている人も多い気がします。

 

※特定の個人を指すものではありませんが「自分のことかも」と思った場合はあなたの事かもしれません。

 

暴虎馮河の亡者

思いつきで無謀なことをするのと計画的に挑戦することは、似た行動になりがちで判断が難しいですが、核となる部分で異なります。初めは行動力があって挑戦しているように見えますが、少し時間が経てば誰でも見抜けるようになります。「ああ、これは無茶しているな・・・」という言葉がため息とともに出ます。

 

少し前のことになりますが、炭鉱のボタ山に周囲の反対を押し切って登ってみたり、雪山にサンダルで行ったりした人もいました。起こり得た事故は起きず、無事だったことにホッとしました。ネタにマジレスではありますが、熱湯風呂に飛び込むのを見るのと同じくらい面白くないことです。面白いことをするために刺激的なことをして、一時的なアクセス増加を体験すると、悪循環から抜けられなくなる亡者も多いです。

 

こんな人が面白い

亡者がつまらないなら、どんな人の記事が面白いのかと思われるかも知れません。当然ながら、亡者でない人の記事は普通に面白いです。ただ、その中でも特に面白いのは「大切にしたい気持ち」や「ビジョン」を原動力に書き続けられているブログの記事です。更新頻度の多寡は関係ありません。

 

人間は考える葦である

そもそもですが、私は清く正しく生きようとするより、多少間違っていてもベストを尽くそうとする人を応援しています。精神的なミスは答え合わせができないので修正のしようがありませんが、論理的な判断によるミスは僅かでも修正できる可能性があるので、人的リソースを割く価値があるからです。

 

もし仮に、神様がいて一部始終を見ていたとしても、我々が住んでいるのは人間界で人間が決めたルールに沿って生活しています。ですから、死後の世界よりも現世を精いっぱい生きようとしている人の方が好きです。そもそも、「人事を尽くして天命を待つ」という諺のように神頼みするのは自身のベストを尽くした者の特権です。自己ベストは必ずしもNo.1とは限りませんし、全力100%出し切ったとも限りません。結果が報われないこともあります。それでも、後悔しない選択を必死に考える人は本当にかっこいいのです。

 

もちろん個人の自由

全ては風の前の塵のように儚いものですから、誰が何をしようと自由です。何をすべきや何を書くべきという制限はありません。価値が無くなった段階で、その人が積み重ねてきたものが「ふっ」と消滅するだけの事です。

 

ただ、何も残らないかもしれない世界で、しっかり考えて生きている人の記事と虚構の人気に縋った記事があった時に、どちらがより有意義で残していきたいかと聞かれれば前者を選びます。何を書いても自由だからこそ、愛のあるコンテンツを読ませてください。

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